施設長のコラム
かつて、こんなにも疎まれながらたくましく生きていた世代があっただろうか。団塊は他の世代にとって永遠のヒール(悪役)だ。彼らは年を重ねてなお、他人におもねることはしない。未だに野心でギラギラしながら、高齢化という時代の主役を張っている。 団塊よ、どうか死ぬまで突っ張って生きてくれ。表彰台から去るのはまだ早い。ナースコールの前にカーテンコールだ。あなたたちの生き様に嫉妬を込めて、盛大な拍手を送らせてほしい。 「団塊は最後までヒールが似合う」宝島社より 2023.1.5 |
2023年1月5日、全国紙朝刊でセンセーショナルなメディアジャックが起きました。驚くことに、本紙面の中で団塊には他の世代にとって永遠のヒールが似合うと断じ、死ぬまで突っ張って生きろと激励までしているではありませんか。
戦後1947年~1949年生まれの団塊諸氏(860万人)は、日米安保闘争・高度成長・バブル崩壊と激動の時代背景のなか、荒波に揉まれながら生き抜いてきた世代です。つまり、「宝島社」が標榜するのは、彼らは競争社会の中で筋金入のヒール世代だと明言しているのです。
(因みに1949年生まれ:270万人 ⇒ 2022年生まれ:80万人)
そして、わが国にとっては「2025年問題」が直面しており、この団塊諸氏が後期高齢世代に身を委ねることになるわけです。ということは、この国を支えてきた彼らがこれから数年単位で、徐々に介護給付を受ける側にまわることを意味します。
ところで、私が思うに・・・こんな難しい世代の支援をいったい誰がするのでしょうか?
介護となれば、私たち介護事業者がこれまで培った専門性の高い介護ノウハウによる支援が必然的に求められます。でも、一方的なあるいは画一的なサービス提供では、彼らの生き様からして支援にそっぽを向かれる可能性がないわけではありません。
このままでは今の若い職員も含めて介護の現場も混乱をきたすことも考えられます。
ひょっとして、「どうする?家康」状態になってしまうかも・・・
そこで、私たちの作戦です。新聞紙面を借りるなら、一つはカーテンコールへの対峙において、介護の専門性を第一に謳うのではなく、彼らへの共通キーワードは「健康・自然・流行・プライド・本物志向等」が掲げられることとなります。
つまり、ニーズの深掘りやステータスへの共鳴等が私たち事業者にとって必須要件となるのではないでしょうか。
二つ目は押してもダメなら引いてみなで、双方が良い刺激の中、彼らの生き様や死生観を共有出来るような生活スタイルが創造できれば幸いです。
団塊世代に終焉は訪れず「腐っても鯛」の如く、ナースコール対決への新たな予兆をひしひしと感じているところです。
さあ、「どう出る団塊」手ぐすね引いて待つのはどっちだ!